2011年05月22日

「定位」に拘る訳

 
オーディオ好きになって、いつから「定位」や「実在感」、「音場感」というものを気にするようになったのだろうかと考えてみたら、中学生の頃まで遡る必要がある。

あるオーディオ店でJBL4343からタンノイオートグラフに切り替えた瞬間、サーっとオケが引いてスピーカー間の奥にステージが現れ、そこにオケが「定位」し、そのオケから渾然一体となった美しい音楽が流れてきた。もう30年近く昔の話だ。

〜タンノイとJBL.jpg
(この頃の音が懐かしい)

あの時の鳥肌が立ち、言葉を失い、恍惚となった”あの音楽”を体験した感覚は未だに忘れていない。(まあ、思い出話なので、だいぶ美化されているのでしょうけど)

ということは、オーディオ好きになってすぐにその魅力に憑りつかれたことになる。

それ以来、「定位」というものに、あーでもない、こーでもないと拘り続けている。

”いい音”でいい音楽を聴くというのは、代え難い魅力と魔力を兼ね備えていて、より深い感動を与えてくれる。

今までの経験で、数えるほどしか”いい音”に遭遇したことはないけど、その時は「定位」など気にもならない。

それでいて、注目するとあるべき位置に「定位」していて、違和感がなく、特徴的なのは、通常よりやや下がった位置に音像が「定位」している。

逆にいうと「定位」が気になるということは、”いい音”には程遠く、とても満足できないのだ。

 定位など気にせず、音楽を聴いたら!

というご意見もあろうかと思う。

確かにベートーヴェンを聴いていて、「定位」が悪いからといって、そこにはベートーヴェンの音楽しか流れてはいない。

しかし、例えばあるコンサートで、音楽を聴いているときに隣の方がおもむろに袋からサンドイッチを取り出し、クチャクチャ音をたてながら食べ、終わったら袋をグシャグシャっと丸めたとする。(これ信じられないけど昔体験した本当の話です)

これではたとえどんなに素晴らしい音楽が流れていたとしても、とても音楽を聴いた気になれない。

「定位」がキチンとしていない状態というのは、これと似たようなもんで、純粋に音楽に集中できないし、とても没頭できない。

だからこそ、その最低条件の「定位」ぐらいはキチンとしたいし、気にしている今の状態は、まだまだだということになる。

「定位」というのは、”いい音”でいい音楽を聴く上での、必須条件の一つであり、これが満たされれば全てヨシとはならないものの、満たさなければその先に進めない関門のようなもの...なのかな。

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posted by メタボパパ at 21:36| Comment(10) | TrackBack(0) | オーディオ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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