2010年07月18日

生と死 〜トスカニーニ・サン=サーンス:死の舞踏

 
臓器移植法が改正され、15歳以下の臓器提供が可能になり、本
人の意思表示が不明の場合、家族の承諾で臓器提供が出来るよ
うになった。

ここで問題になるのが、どこからが「人の死」なのかということで、
脳死状態を「死」とするのか、心肺停止した状態を「死」とする
のかは難しい問題。

自分が脳死状態になったら、「死」として臓器を提供することは
構わないのだが、家族(特に子供)が脳死状態になったとき、
心臓が動き、血が流れ、温かい状態の子供を死んだとは思えな
いし、臓器を提供して下さいと言う医師に腹を立てるだろう。

いくら人の命を救うためだと頭では分かっていても、いざ自分
の家族となるととても無理な話だと思う。

しかし、逆の立場で、子供に臓器移植すれば生きられるとなれ
ば、のどから手が出るほど欲しがるのも親心というものだろう。


以前にもブログで書いたが、私の父は認知症で話すこともでき
ない。

私は子供の頃からコンサートや、美術館、旅行、食事等々、色
々と連れて行ってもらい、オーディオを含め、様々な体験をし
たことが、現在の自分の血となり肉となっていると思うし、感謝
している。

当時の父は幸せだったと思うが、今の父を見ていると果たして
本当に幸せなのだろうか?何を考えて生きているのだろうか?
と、疑問に思ってしまう。

「生きる」ということはどういうことなのだろうか? 
「幸せ」って一体何なのだろうか?

今回の法改正で、結論は出ないが「生と死」について改めて考え
させられた。

〜 FALP130j.jpg
トスカニーニ・サン=サーンス:死の舞踏
仏VSM FALP130

トスカニーニにしては珍しくゆったりとして、ヴァイオリンが
舞踏会の始まりを静かに告げる。カップリング曲のスメタナ:
モルダウが素っ気ない演奏なだけに対照的。

後半へ盛り上がる推進力は素晴らしく、それだけに朝を告げる
オーボエから舞踏会の終わりまでの寂しさが際立つ。

死んだあとの世界は分からないが、もし死神がヴァイオリンを
弾いて、夜な夜な舞踏会が開かれているなら、結構楽しく幸せ
なのかも知れないなんて思ったりする。

もしそうなら、フルトヴェングラーの生(?)演奏を是非とも
聴いてみたいなぁ〜。


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posted by メタボパパ at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | レコード紹介:S〜V | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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